愛と
懺悔と
色々なものが入り混じってできている。そうではないと思っている。パンがないんならケーキを食べたらええが、というところがある。わからない。何かすごくおかしいところがあると感じる。でもそれが何かわからない。
自分の気持ちを把握することが難しい。
洗濯機が鳴る。
あんなに晴れていた空が曇っていくのが見える。
ベランダに出ると束の間の太陽が差す。
部屋に戻ると空はぼこぼこと白む。
洗剤の正しい匂いがするお気に入りのTシャツを力無く持ち上げてうーんと思う。
「そこ」で生きているという感覚がものすごく薄い。
いまじぶんが生きているということは、それを知っていてくれるひとがいるということで、それをこんなにも理解し信じている、同じくらいひとりでいるという感覚がある。
それをとても幼稚だと思う。
じぶんがじぶんに対して強烈に、本当に反吐が出るほどふてくされている。
悔しい。悔しい?
アー、ウー、とかしか言えなくなってしまう。
なんだろうな。
トライしたいことも、その必要があることも死ぬほどあるのに、あ、何も話すことができない、どうしよう、困ったな、という感覚があって、心の底から途方に暮れてしまう。
「テラスハウス」みたいに、言動を見ているだけではすくいきれない気持ちをモニターの外から「ああだったんじゃないか」「こうだったんじゃないか」「こういう経緯で、意味だったんじゃないか」って補完してくれる眼差しがあればいいのにと思う。
何事か、なんでもいい、一生懸命で、何かいいものとしているつもりでいて、でもそれが間違って(伝わって)いたとしたら?
外に干して雨が降るまでに取り込んでもいいし、部屋の中に干すのでもいいだろうし、すぐそれを着て行きたいならドライヤーとサーキュレーターをぶん回してしまえばいい、ましてや、わたしの部屋には浴室乾燥(身の丈に合わない)(本当に使い切らない)(1年住んでいて、5回も使わなかった)(!)まであるのだし、最悪外に干して雨に打たれてしまってもまた洗い直せばよい。
それをなんで、こんな、ぼうっと空を見上げているしかできないような気分でいるんだろう。
会えてよかった、ありがとうって綺麗に笑って、嬉しいまま死んでしまう。
そうじゃなくなりたい。