ときをかける
安心してまちがっておいで
何を書こうとしているかわからないんだけど、のに、うっかり「時をBABEL」を聴いて泣きそうになるなどしている。
おなじみのネカフェにいるんですけど、あのお、むだにまた、怪文書を書き終えてすっかりほっとして、パソコンを膝に乗せて、本棚の中のちいさな部屋にいる。ほんとなんですよ!部屋のちいさな窓のさきにガラス張りの壁その向こうにシジョーカワラマチインターセクションが見えるの。センチメンタルがすぎる。
誰もいない深夜にばかりオドフットさんを聴いているような気がしてくる。
前は確か、そうだ、「galaxy motel vol.2」のあと、ホテルに帰ったのになんとなくもったいなくなって、終電で渋谷まで戻って(!)、だらだらとスターバックスで息絶え絶えに感想とも言えないポエム(あまりにすばらしいライブに気が動転していた)をしたためて、そのあと池尻大橋のホテルまでずうっと「カミサマ」を聴きながら歩いて帰った思い出。うわあ。陶酔しすぎている。台風というか嵐、みたいな生き物みたいな風が、今自分が立っている橋の底、高速道路のあの、ぐるぐるしているところに吹き溜まって巻き上がっていたのが目に焼き付いてる。
5月3日のWWWXの脇の石段に、6月21日の深夜の赤坂のネットカフェに、6月29日のコンパスのバーカウンターに、7月3日のクアトロの隅っこに。
最後のターミナルとしての、終電を待つ駅のホームに。
いまもそうだけど、帰らなくていいなら、どんなに楽だろう。
実際、わたしの一部は帰ってきていない。
決して、悔しいとか怖いとかではなくて、なにか理想とか夢みたいなものがあって、すっかり叶えてしまいたい、そこへ行ってしまいたいんだきっと。
そんな簡単なことではないんだけど。
(どう聞こえるのかな。)
わたしはいま、人生で初めて間違いたい。
息をしているかぎり、なにかが動き続けていることを知っていた。
それは決して、自分の力だけで起こったことではなくて、まして、その音楽とかがどうこうでも(求めているということ以外は関係が)ない。
ひととのつながりの中にしかおきえないことがいつの間にか目の前にあった。
みたいな。
上手くは言えないな。
理解(その定義もわからないけどさ)されうる「好き」をすっかり通り越して、終電を逃して、タクシーを見送って、値札を見ないで、電話線を抜いて、スヌーズを止めて、アラームを切って、コンタクトの目で、お化粧をした顔で、床に横たわって、青信号に立ちすくんで、自分の気持ちすらわからないままで、おぼつかない足取りで、まだ残っている何かを、じぶんをそうさせるものをいぶかしんで、おびえながら、
歩きつづける。
じぶんを追い詰めたいし、甘やかしたい。
だいすきなだれかに優しくしたい。
ずっと一緒にいられなくていいから、今近くにいるような気がしているのが、同じだといいと思う。
そんな感じで、こちらはよい夜です。
これを読んでくれてるあなたの今日もいい日だといい。
どうも悲しいのが好きでいけない。
いいんですけど。趣味なので(?)
あああああ。ポエムの終わりどころは難しいな。
みんなもポエ散らかすといいと思うの。
おやすみなさい。
美しい夜と、すばらしい朝を、あなたのいるそこに。
読んでくれてありがとうね。