コールとレスポンス

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韻シストニューイヤーカウントダウン2019に行って20thアニバーサリーなんばハッチを思い出したりフォロワーさまと魂の出会いをしたりした話です)

(2019.06.22加筆・修正)

  明けましたね!そういう感じがしないけどそうらしい。

 

 気づかずに変わっていくことがあって、何も覚えてないのに変わらずに言い続けていることがあって、そういうことを書き残すためにブログを作りました。ツイッターの延長。当面韻シストのことばかり話しているだろうし、でも、ファンブログ以上のものにしていけるといいなと思います。あなたが待ってくれている気がすることと、何より私が読みたいので。

 

 もう明けちゃったのでアレなんだけどまだ、年末の雰囲気が体の中に残っている。年の瀬、緊張を強いるように冷え込む夜、だけど実はみんながうずうずしている、心拍数みたいに光る電飾、誰もがスタートの合図を今か今かと待っている。朝が来る、白々しい陽が射して、誰もが一斉に重いスーツケースを抱えて走り出す。よーいどんで、普段を忘れて、軽すぎて浮かれきった心で。

 私も同じく名古屋への新幹線に乗っておりました。そう。韻シストのカウントダウンパーティー!フォロワーさまに!誘っていただいて!名古屋!人生初の!

 

 楽しすぎるデートを一度解散したところから、韻シストモードに切り替わった気がしたのを覚えている。大通りを埋め尽くす電飾(明らかに鏡餅を模していた)(彼女に伝えたくてわすれていた)が、そわそわと光っていた。憧れのブルーノートは普通のビルの地下で、ウェルカムボード的な看板があり、韻シストがちゃんとそこにいた。

 

 長い長い階段を降りて、可愛いフロアマットにはしゃぎながら案内してもらう。着席式の会場、テーブルは最前、6人がけの一番後方側、向かいにはフォロワーさま。左45度を見るとすぐそこにステージがあった。撮影は開演前後のみ。ひとしきり写真を撮ってもらって、今日のための特製カクテル「in-finity」を注文。おしゃれかよ?!出てきたカクテル(ノンアルコール)は青くてキラキラで、味は柑橘系でとても飲みやすくて美味しかった。このハードル高めの見た目と親しみやすい中身のギャップが韻シストっぽいなあと思った。ストローが2本で嘘みたいな二度見をしてフォロワーさまに笑われました。ちなみに2本とものちに踊りすぎの私により吹っ飛ばされお釈迦になる。

 

 開演。おなじみ韻シストのテーマから。スローダウンベイビーまあ聞いてくれ、漢字の韻にカタカナのシストで!はしゃぐビートに飛び跳ねる多幸感。そして、続くのは「party six」!ツイッターでも言いましたが、この曲はイントロと最後が本当に最高だと思う。イントロ入り1小節目3拍目まででもうクライマックスじゃないですか?2拍め4拍めでどうしてもクラップせずにいられなくなってしまう魔法。「日が沈ん」だらパーティーの始まり、まさしく!まさしく!大阪のブロックパーティー「ネバフ」のように被せてる人が少なくて歯がゆかった、まあ、ブルーノートだしなあ…と思ったところで諦めるはずもなく被せてました。「地味に見えて音楽が好き」で目を合わせた瞬間、フォロワーさまと心が通うのがわかった、前もなんだけど、ここぞ!という時に必ずこちらを見やってくれる彼女の笑顔の美しさといったらなぜ化粧品のCMが来ないかわからないほど、資生堂さーん!!花王さーん!!!!

 

 音源を軽々と超える魅力がライブアレンジにあると思っていて、韻シストのそれは多分ちょっと常軌を逸している。バンドの基礎体力というか、おそらく2MCの(自然体でいて意図された)親しみやすさ、身近で聞き慣れた言葉でできたリリックに凄みを持たせるだけの卓越した演奏に、目に見えないエネルギーが爆発している。タロワンさんのドラム一つとっても2拍4拍の8ビートのグルーヴで進んできたのがサビ繰り返しで4つ打ちになるところ!!!!駄目押し!!!!もはや健全な麻薬。名古屋民じゃなくて申し訳ないけど、関西で見たことある顔が散見されるのも仕方ないよなあと思ってします。韻シストは麻薬。

 

 他には、ブルーノート仕様のグランドピアノの参加を生かした「オ〜シッ」のジャズアレンジもすごく印象的だった。跳ねるビートの間を縫ってキラキラ滑り落ちるピアノ、韻シストの音の参照そのものというか、「ジャズはお父さん」ってこういうことか、と思った。別の曲だったと思うけどタクさんとのソロバトルもかっこよかった。今にも発火しそうに乾いたドラム、重いのにタイトなベース、普段のすごくクールな音にピアノ特有の湿り気が乗って、すごくゴージャスだった。「オーシッ」のブルーノートアレンジ、もしくは韻シストジャズアレンジアルバムのリリースいつまでも待てる。タコ師!(もう!欲しがるんやから!)

 

 「ダブルクラッチ」、「オールドスクールラビン」、「ドントリーブミー」、おおまかに「infinity」リリースツアーのそれに近いのセトリだったと思う。「ドントリーブミー」、正直わたし個人にとっては震源地から少しだけ離れた曲ではあるのですが、踊れないひともクラップしやすいし、すごく間口が広い曲だと思う。please don't leave me baby♪でドラムが4つ打ちになる1小節でどうしても車のハンドルを回すような動きをしてしまい裁判に勝ってしまうことは秘密。

 

 そうだ!思い出した、「一丁上がり」!最初にアップみたいのがあって、バシさん「say ho!!」会場「ho!!」みたいなのを何回か、からのバシさん「一丁上がり!」に答える会場の「you got it!!」。一発で決まるレスポンス、ギターが鳴る、鳥肌が立つ、例のギターリフ!バシさんのバース、シュウさんのバース。からの、ただでさえめちゃくちゃ韻が固いタクさんのバース受けて否応無く上がっていくボルテージ、そこからの、サッコンさんの「一丁上がり」!この日は特に調子が良かったみたいで、「いっちょあがーーーーりーーーーー!」とロングトーンでシャウトしておられました。ユガーリーッ!!!!!客席も喉枯れる。咳き込みながらこの文章を打っています。同じことの繰り返しを飽きさせない音がグルーブ、みたいな文章をどこかでみたけど、そのお手本のような曲だと思う。毎回やってくれ〜〜。

 

 2部アンコールかな。「ひょっとしたら」、バシさんに【あなたも】と言ってもらった。思い込みだとしても最高の思い出です。というか常にステージを踊りながら動き回ってるバシさんサッコンさんは地味にすごいし、ものすごく観客ひとりひとりをよく見ておられると勝手に思っているのだけど、今回もそれを感じた。「歌ってください」って言われてシンガロンしたらサムアップして笑ってくれるんだぜ。罪作りだろ?この日は前述のピアノも相まって本当に映画音楽のような響きだったし、もちろんフックを歌えるオーディエンスの声を聞くためにドラムを落とさせたバシさんもドラマチックすぎていたし、本当にすばらしかった。

 

「ひょっとしたら」。

 

 歌詞/リリックについて話すことは、それがわたし(たち音楽好き)にとって音について話すよりもとっても簡単でやりやすいことだから、ついやってしまうし、だからこそあまりやりたくないと思ってきた。テレビだっていつだって新しい人を取り上げるときには「若者」「歌詞」「共感」「人気」ってそればっかり、踊ることと生活が切り離された頭でっかちなこの国で、音楽はほとんど宗教、ナイーブな価値観の共有と啓蒙のためのツール、もしくは思春期のサウンドトラック。邦ロック好きたちが集まったってほんの20年もすればただのお酒のおつまみになってカラオケではみんな同じ曲歌って盆踊り、タイアップがついてない歌を誰も知らなくて、動画サイトやストリーミングでの「1曲聴き」が当たり前になって、1曲を1日で消費してしまうようになって、それに合わせてリリースしないといけなくて、音の文脈なんてないに等しいこの時代に!歌詞について!語るなんて!20年現役のミュージシャンズミュージシャンへの冒涜!

 

ぐらい思っていたんですけど(病的な真面目系クズ)、この曲には負けた。

 

 それこそスマホ以前は重たいロキノンとかぶら下げていたのが、スマホ一つでなんでもわかるようになって、韻シストの20年について語られるインタビューやなんかをいくつもみられる今日がある。わたしはどちらかといえば彼らの言うところの「若い子」みたいな世代で、5人以上メンバーがいた時代を知らない、でも、長く停滞したことがあったことをインタビューを通じて知った。バシさんのソロ活動、韻シストバンド名義でのアルバム(「Rest of my life」!)。いやいや…解散の危機だったのでは…と思うのは早とちりかなあ。その頃の彼らにとって「続きの人生」…今日より先の未来は、すごく脆くて危ういものだったんじゃないか、みたいなことを思ってしまう。

 


TAKU:韻シストに加入してからの時間で考えると、僕も夢中でやってきたて山あり谷ありはありましたね。例えば、2010年にMCのFUNKYMICとサックスのKENJIが抜けた時は、ライブで出来なくなった曲もあったし、これからどうなるんやろってリスナーも心配していたと思う。自分達としても「これはピンチやな……」っていう、大変な雨の時期やったんですね。でも結果、いま振り返ると、そこで雨降って地固まって、加速していったんですよ。

ーーそれは具体的にはどんなタイミングですか?

TAKU:2011年に『BIG FARM』を作ったときですね。そこで新しい韻シストが始まったし、そこでページが変わったと思う。ーーそれはリスナーとしても本当にそう思いますね。韻シストのヒストリーを考えると、『BIG FARM』以前/以降という区切りは絶対にあると思う。TAKU:間違いないですね。いまライブに来てくれているお客さんも、9割ぐらい『BIG FARM』以降のリスナーだと思いますね。

ーー2008年の『GOURMELOGIC』から11年の『BIG FARM』までは、リリースが3年開いたのに加え、メンバーの交代もあり、ライブはあったものの、リスナーとしては正直、停滞期だと思っていて。だから、『BIG FARM』がリリースされた時に、「韻シストはまだ続くんだ」と思ったんですよね。

BASI:リアル意見ですね(笑)。

ーーでも『BIG FARM』を聴いて、韻シストはこう変わったんだとも思ったし、内容が非常に良かった。ここから改めて、リスナーとして韻シストを改めて聴き始めた感触もありました。

BASI:グループとしても、20年の中で一番大きな分岐点だったと思いますね。実は、『GOURMELOGIC』から『BIG FARM』の間に、アルバムを1枚作ってるんですよね。でも、それはリリースもされなくて。

ーー完全にお蔵になってるアルバムがあるんですね。

BASI:メンバーの脱退で出す訳にもいかなくなって。すごい労力かけて作った1枚が出されへんようになって、バンドの形も変わって……っていう、状況と展開のヘビーさに、心と身体のバランスがエグくなってしまって。自分でも“危なかった時期”って言ってるんですけど、どんどん悪い方に考えてしまって、バッドマインドに支配されてたんです。しかもそういう状況だから、他の誰がまた抜けてもおかしくない雰囲気もバンド内にあって。

ーーその中で作られたのが『BIG FARM』だったと。

BASI:状況は最悪だったけど、バンドが好きで、ヒップホップが好きで、音楽が好きでっていう気持ちは、みんな変わらずに、ピュアに持ってたんですよね。だから、5人の意識が「やるしかない」って固まってからは、制作は早かったです。実際、『BIG FARM』は、今までの韻シスト作品の中で、一番早く出来たアルバムなんですよ。作業でいったら、ひと月ぐらいで作ってるんですよ、実は。

ーー「やるしかない」と思えたのは?

BASI:「やるしかない」って気持ちは、ある種、ネガティブを反転させた気持ちだとも思うんですよね。ネガティヴが過ぎて、そういう気持ちになった部分もあると思う。

ーーリリースして心境は変わりましたか?

BASI:完成した時は、朦朧とした気持ちの中で作った感じもあったけど、やりきったという手応えもあって。そして『BIG FARM』を出したら、リスナーからもミュージシャンからも反響があって、いろんなところから声をかけてもらえるようになって。そこで意識が変わった部分はありますね。だから、意識が変わったとしたら、皆さんの温かいリアクションで変わっていったんだと思います。

 

 決して多くは語られていないし、それはある種夢のあることで、それでも、相当きつい状況だったということは間違いないと思う。こんな雨の時代があの韻シストにも?ネガティブが過ぎて、やるしかないと思えた、そこに残ったものがなんだったのか。そんななかでも「ひょっとしたら」と思わせるもの。

 

 本当に落ち込んだとき、私たちはどうすればいいのか。

 

 宇多田ヒカルの本から。

 もやもやを振り払うたったひとつの方法は、
たとえば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、
といった創作活動なんじゃないか、
それもまた逃避のひとつであるけど、
闇雲にエネルギーを無駄使いするのとは大きく違う。
創作行為って不思議。ただのストレス発散とは違って、
内なるプロセスなのに、自分とは別の、形あるものが残る。
なにかを残すために「創造」するんじゃない。
「作品」は「創造」の副産物に過ぎない。

 

 はー!やっと!今日書きたかったことにたどり着けそうだ!

 

 20年続けてきたことってありますか?わたしはない。ましてそれでお金になるようなことなんて。ましてそれが自分のやりたいことだなんて。そんなのは選ばれた人にだけ許されることで、いくら音楽が大好きでも、それを形にできるなんていうことは、わたしにはきっとこれからもないものと思っていた。

 でも、ブルーノートで「ひょっとしたら」を聴いて、ありありと思い出した。

 20周年記念のなんばハッチ

 あの日、バシさんは「あなただってひょっとするかもしれない」と語り続けた。

 どんな危機的状況でも好きという気持ちと向き合うのをやめなかった韻シストの演奏はそれはそれはあたたかい夢のようで、でも、決して絵空事ではなかった。あなたも、あなたも、となんども呼びかける声、ステージ奥動画を撮るスタッフさんの姿が見えているのに、溢れる涙を止められなかった。地味に見えて音楽が好き、それだけで良かったのだ、と思った。大好きな上司の転勤が決まり恋人とも別れ精神的にボロボロになって、もう何もかもどうでもいいと思いながら必死で行ったライブだった。

  あまりにも素晴らしいステージに圧倒された帰り道、うわー、うわー、と子どものような気持ちで、はやる気持ちのままツイッターに感想を呟いた。それで数少ないフォロワーの方に嫌われたところで、失うものなどない、と思った。わたしは夢中で文字を打った、遅刻したわたしに席を教えてくれた人がいてありがたかったこと、記念写真のバシさんの笑顔が素敵だったこと、ゲストのケンケンさんが言った「韻シストはロマン」という言葉が耳から離れないこと。韻シストは嘘でも作り物でもなくて、手作りの真摯な夢そのものだったこと。

 そのツイートをバシさんがリツイートしてくれた(わたしは駅の柱に頭をぶつけた)。

 フォローしてくれる方が増えた。

 ライブに行って感想を呟いては、見てくれたり喜んだり話しかけてくれる人がいて、相変わらず一人でも、もう、独りではなかった。

 

「始まってもないまだ何も そう思えたらそれは最高」、

「ひょっとしたらひょっとするかもしれないから」、

「あと少しだけ もう少しだけ」、

あなたも。

 

 名古屋。

 ライブの翌日、フォロワーさまとたくさんお話しした。驚くべきことに彼女はわたしの韻シストの感想ツイートだけではなくて、仕事が辛いとか、そもそも普段の生活が辛いとか、そのようなつぶやきさえもとても共感できると言ってくれた。どちらも本当にうなづきながら見ているから、思い切りつぶやいてほしいと言ってくれた。

 びっくりした。

 韻シストや音楽を好きということさえ話題にできないような、本当に生きるためのお金を稼ぐためだけの生活の中で、もう誰かと心を通わせることはないのか(もしれない)とおもっていた。泣いた。生きることを舐めていたと思った。

 

 わたしの人生はもう、求めるまでもなくひょっとしはじめている。

 

 一つトライしたいことができた、でも、すぐには何者にもなれないから、今の所は何か目に見える形に残そうとしていまこれを書いています。もちろんやってもできないかもしれない。でもひょっとしたらひょっとするかもしれないから。

 

 

 

 フォロワーさまと、ライブ翌日&翌々日過ごすことができて、本当に楽しかった。なんというか…。きっと自分が韻シストを好きになったことの答え合わせをこれからもしていくかもしれないという気がするのだけど(「好き」「踊ってしまう」ってどこから来るんだろう)、その一番コアの部分を引き当てたと思う。韻シストきっかけで生まれたリレーションシップの中でもこんな屈強なコンビはないのでは。わたしの愛が重いだけかもしれないけど!

 居酒屋で泣いたことも、そのあと見た六角堂の荘厳な美しさもゴマラテの甘さもくるくる回るカップも彼女の肌が美しかったことも絶対に忘れられないし、翌日のケーキの美味しさもお香の匂いも、もちろん味噌カツ丼も大晦日の神社も夜の栄を歩いたことも朝の朝日神社?に行ったことも名古屋城のしゃちほこもチーズの美味しさも悪意のバイブスも全部全部素晴らしい思い出です。

 おもちさん本当にありがとうございました。

好きすぎる。

わたしがおもちストだ!

 

というわけで7000字とか行ってしまったから雑に終わる。

韻シストはいいぞ!

おやすみなさい!

読んでくれた人ありがとう!

 

参考:

韻シスト BASI&TAKUが語る、結成からのブレない核「20年経っても根本的な気持ちは変わらない」 - Real Sound|リアルサウンド

宇多田ヒカル。祈り。願い。救済の予感。 : ayuCafe

韻シスト ひょっとしたら 歌詞 - 歌ネット